本能寺の変について書かれた本はこの世にたくさんあります。
私も今までいろいろと読んで参りましたので、変の原因に関する諸説については、私なりにだいたい知っているつもりですが、今回、それを頭の中で整理する目的でこの本を手に取りました。
この本は、今まで世に出された本能寺の変に関する様々な説に対して、史料の詳細な分析を基に、まさに本のタイトル通り「検証」を加え、著者としての結論を導き出されています。
それが何かはネタバレになっていまうのでここで書くことはできませんが、私個人としては、当初の目的通り自分の知識を整理することができたと共に、新しい知識を追加するのに大変役立ちました。
さて、この本を読んでいて、改めて考えさせられたことがありました。
それは、明智光秀の年齢。
以前より書かせていただいている通り、私は明智光秀の大ファンでもありますが、「光秀年齢問題」は光秀フリークにとっても大きな謎なんですね。
そもそも光秀の生涯、特に前半部分(信長に仕えるまで)については解明されておらず、その出自に関してははっきりしたことは分かっていません。
彼がいつ、どこで生まれたのか、諸説あって真相は不明。
彼の父親についても、美濃土岐氏の庶流明智氏の明智光綱と伝わっていますが、これも異説があって本当のところは明確ではない。
従って、彼の没年も謎。
本能寺の変が起きたとき、光秀は果たして何歳だったのでしょうか。
故高柳光寿さんの名著「明智光秀」(人物叢書/吉川弘文館)を見てみると・・・
この本では、「光秀の年齢」という項目で、冒頭に「光秀の年齢はわからない。」といきなり記されています。
そのあと続けて、「明智軍記」では光秀の辞世の句から彼が滅亡した時の年齢を55歳としているが、これは信用できないという主旨のことも書かれています。
また、この本の巻末にある「略年譜」でも、年齢には全て「?」が記されていて、「(明智軍記によりて仮に記入す。但し信用はできず。)」と付記されていました。
昨年の5月20日にこのブログでアップした「辞世の句あれこれ」で、この「軍記」所収の光秀の辞世の句と言われるものを書かせていただきましたが、確かに句の中に「五十五年の夢」とあるんですよね。
でも、史料自体が一級史料ではなく(変から100年以上経った江戸時代の元禄年間に書かれたと言われています)、彼の年齢のこともそのまま鵜呑みにはできないわけです。
今回読んだ「検証 本能寺の変」でもこのことは触れられていて、「軍記」の記述はやはり信用はできないとしていますが、一方で「当代記」(信長上洛以前から江戸時代初期までの政治・社会情勢に関する記録。史料の中の「付記」などには比較的信用できる部分もあるんだそうです)には光秀は67歳で亡くなったとの記述があるとのこと。
ここから先の著者の谷口さんのご見解は、やっぱりネタバレなのでここで書くことはできませんが(興味のある方は是非ご一読を)、55歳にしろ、67歳にしろ、どうしても感じてしまうのは世間の光秀のイメージとの乖離。
変が起きた時の光秀の年齢は比較的若いと一般には思われているのではないでしょうか。例えば30代とか40代とか。
その辺りをこの本では、変の当時40代半ばであった羽柴秀吉とライバルであったとされていることもあって、年齢も差が無いのではないかという先入観があるのではということと、岸和田の本徳寺所蔵の光秀肖像画が比較的若く見えることが影響している、と書かれていますが、正にその通りではないかと思います。
それから、真偽の程は別として、昔から、信長から厳しい仕打ちを受けたとの逸話が昔から信じられてきたためか、「信長より年下」というイメージがあるのではないかと個人的には思っています。
また、信長に早くから仕えていた「老臣」と言われる柴田勝家や丹羽長秀といった部将達よりも、新参者の光秀が若いのではないかという、これまた根拠のない先入観が影響しているのではないかな、という気もしています。
実際は、変の当時、勝家は50歳後半から60歳ぐらい、長秀は40代後半みたいですから、勝家は光秀よりも若いか、あるいは同年代だった可能性がありますし、長秀にいたっては光秀よりずっと若かったことになりますね。
更に、テレビドラマや劇画でも、光秀は若々しく描かれているケースが多いような気がします。
例えば大河ドラマの光秀役も、私がリアルタイムで観た限りでは
春日局(1989) 五木ひろし
信長 KING OF ZIPANGU(1992) マイケル富岡
秀吉(1996) 村上弘明
利家とまつ〜加賀百万石物語〜(2002) 萩原健一
功名が辻(2006) 坂東三津五郎
天地人(2009) 鶴見辰吾
(以上、敬称略)
といった方々ですが、演じられた当時、実年齢が67歳は勿論、55歳に到達していた方もいらっしゃいません(間違っていたらすみません)。
ドラマの設定では本当の光秀の年齢に合わせていたのかもしれませんが。
テレビドラマの光秀像は、世間一般の彼に対するイメージがよく現れているというか、逆に、一般的な光秀像を作り上げているというか・・・、まぁ、両方なのかもしれませんね。
本能寺の変の際、織田信長は享年49歳(満48歳)。場合によっては約20歳も年が離れていたかもしれない主君に対し、彼がどんな思いを抱いていたのか。
あるいは、自分よりも若い同僚たち、特に秀吉の活躍をどのように見ていたのか。
老齢の域にあった彼の思いと謀反の動機の関連性について、著者の谷口さんの見解はとても納得させられるものがあります(ここでも詳述は避けます)。
詳細を知りたい方にも、また、そもそも本能寺の変とはなんぞや、と思っている方にもお勧めの一冊です。
なお、以前ご紹介したこの本、
と比較して読むのも大変興味深いですよ。
これからも折を見てTBさせていただきます。
よろしくお願いいたします。へたれ中年「宇宙戦艦ヤマト2199」を観たご報告「日本史同好会」が、やっと200記事に届きました。
そのご報告と、これからも変らぬTBのお願いです。
オープンジャンルで歴史を100倍楽しもう!
「日本史同好会」住兵衛平忠正が歩んだ道ようこそおいでいただきましたはじめまして、しょうよう庵様、ようこそいらっしゃいました。
まさにキャラクターが立っているという表現、ぴったりですね。
平家一門が一枚岩ではない、という意味へたれ中年平忠正が歩んだ道はじめまして。
忠正は左馬助を解官されて以降は任官していないようなので、兄・忠盛に比べると日陰を歩んでいたようですね。
大河ドラマ作中では清盛との複雑な関係などしょうよう庵平忠正が歩んだ道イェモンさんこんばんは。毎度ありがとうございます。
その通り、その通り。ご意見に全面的に賛成ですよ〜。
消えていった人たちにスポットを当てるのは、大事なことへたれ中年平忠正が歩んだ道歴史の表舞台で活躍する人達だけでなく
影から支える人の事がいなければ
世の中は動いて行かないんですよね〜!
ワタシが興味を持っている女性達の歴史も
派手な「男イェモン平忠正が歩んだ道Re: 忠正の悲劇> 平忠正だけでなく、ぜひまた「消えていったその他大勢の人々の生涯」について書いてください。 楽しみにしています。
住兵衛さん、いつもありがとうございます。
へたれ中年